Sunday October 18, 2009 at 20:43

「家族的経営」に一定のあたたかみがあったことは、おそらく事実だったのだと思う。 が、その一方で、昔の日本の「家」をイメージした経営理念には、「家族みたいに自他が未分化」で「家族のようにだらしなくもたれ合って」いるネガティブな側面があった。

 社内には、「お父さんの命令には黙って従うべきだ」式の抑圧がセットアップされ、「子供が理屈を言うものではない」的な圧政が渦巻いていたはずだ。私はそう思う。そういう、他人を他人として扱わない(つまり、年齢の若い社員を「子供扱い」にする)風潮があったからこそ、家族的経営は頓挫したのだ。

 実際、会社が社員の「面倒を見る」というフィクションの裏で、社員には「献身」と「服従」が期待されていた。無論、会議は「理屈を言うな」ぐらいな原則で動いており、下っ端が意見を言うことは、「生意気」ということで排除されていた。以心伝心。なんという息の詰まる同調圧力。

 さらに厄介なことに、家族経営の企業は、身内には優しくても、外部の人間に対しては、無関心かつ冷淡であり、時には冷酷でさえあった。身内大事の原則は、経営者の社会的責任に対する無感覚を招き、法令遵守の原則をさえ無視させていた。そして、「会社のために正しいことは全社員にとって正しいことだ」とする歪んだ倫理観は、職場を企業犯罪の温床にしてさえいた。ロッキード事件などの汚職事件をはじめとする、反社会的な企業活動の裏には、「黙ってついて行く」物言わぬ子分たちの存在があった。そういう側面もあったのである。

「家族的経営」と「心中」したがる私たち:日経ビジネスオンライン

—-まだまだ、これがそのまま残っている場所も多いだろうし、「近代的企業」でもこのシッポはあちらこちらで見られるだろう。